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脱スピとは『脱・依存服従システム』  [スピの世界をひっくり返す]

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脱スピブログが増えてきて、それぞれの記事やコメント欄では、スピ系セミナー業者、通称スピ屋の実態。特に『ラスボスさん』や『ふわふわキャハハさん』の話題で盛り上がっています。




今まで、不満があっても直接クレームを入れるのは恐れていた方も声を挙げられて来て、スピリチュアルの世界が良い方向に変わって来ていると実感しています。




最近、ふと改めて「脱スピってどういう事だろう?」と考えるようになりました。




行動面のみならば、スピ系セミナーやセッションに参加しない。そのままスピリチュアルの世界とはスッパリ縁を切るのも良し、本やネットで自分独自に探求するのも良し、実感を掴みたければ【エゴに気付く】を日常生活で実践すればいい。と、これまで皆さんにお伝えしてきました。





今回はもう一歩踏み込みたいと思います。


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個人的な意見ですが、スピリチュアルの成り立ちというものは既存宗教の権威からの脱却、アンチテーゼとして出現したのだと想われます。




すなわち、聖職者等が介在しなくても、わたしたちは元々、大きな存在と直結していて、実は自分は大きな存在そのものだという主張です。




本来のスピリチュアルは、人生に関わってくるあらゆる制限、呪縛の鎖を解き放ち、わたしたちが真に自由に成るためのものです。





しかし、いつの間にかマスターや覚者と呼ばれる人達が、営利第一主義でスピリチュアルの教えを利用して、セミナーやセッションで参加者を自分に依存服従させるシステムを作り、高額の料金を払わせて参加するように持っていくのが常套手段になって来ました。




お金に余裕があって、完全に趣味の領域で参加されている方はそれでも良いでしょうが、悩みをなんとかしたくて、やっとの想いで参加費を捻出している方が多いのでは無いでしょうか?





「料金は、主催側と参加する側が双方納得ずくで発生するもの、高い安いは関係無い」という意見もあります。




スピ系以外の例えば「料理教室」ならば、それは当て嵌まります




しかしスピ系セミナーにおいては瞑想やそれに伴う呼吸法を入念に行って、参加者の心を無防備な『疑う事を知らない、心のフィルターが作動しない』状態にします。





それから主催者が『説法、法話』と称して、延々と非二元等の話しをもっともらしくしますので「この先生について行こう!」と依存服従関係になってしまい易く、「不健全な納得ずく」になり勝ちです。




セミナー主催者との不健全な依存服従関係が成立してしまうと、そのセミナーに参加し続けなければ精神の安定は維持出来ません。




その依存服従関係は、あなたの人生にとっての害悪にしかなりませんので断ち切りましょう!




セミナーもセッションもマスターも覚者も一切必要ありません!





脱スピとは『脱・依存服従システム』





そして、本来のスピリチュアルの姿に戻る事です。





P.S

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