こちらが勘違いすると、相手は凄い人になります【ふわふわ問答】 [スピの世界をひっくり返す]
※応援クリックよろしくお願いします落語で『蒟蒻問答』という噺があります。
地元の禅宗の寺が長年住職のなり手がなく、荒れるに任されているのを心配した村の世話人・蒟蒻屋の六兵衛は、居候の八五郎に、出家してこの寺の住職になるように勧めた。
八五郎も何の目的もアテも無いので、二つ返事で承知して、にわか坊主の出来上がり!
本性がダメ男な八五郎は、寺で大酒を食らっては、寺男の権助と二人でくだを巻いている毎日。
そんなある日、禅宗の本山で修行している僧が諸国行脚の途中、その寺に立ち寄り、「ぜひご住職に一問答お願いしたい」と詰め寄って来た。
応対した権助が言うには、問答に負けると如意棒でぶったたかれた上、寺から追い出されるとのこと。
住職は留守だと追っ払おうとしたが、「しからば命の限りお待ち申す」と頑として動かない。
恐れをなした、八五郎が逃げ支度をしていると、やって来たのが蒟蒻屋六兵衛。
事情を聞くと、「俺が退治してやろう!」と助太刀を買ってでた。
さて翌日。住職に成りすました六兵衛と名門中の名門の禅僧との対決。
禅僧が先に問答を仕掛けて来たが、六兵衛は何も言わず。
禅僧は無言の行だと勘違いして、身振り手振りに切り替える。
手で〇を作り六兵衛に見せると
六兵衛、両手でそれより大きな〇を作る。
次に禅僧が十本の指を突き出すと、六兵衛は片手で五本の指を出す。
三本の指にはアッカンべーと返した。
なぜか名門中の名門で修行した筈の禅僧は「恐れ入ったッ!!」とその場を逃げだした。
八五郎が追いかけてわけを聞くと
「なかなか我等の及ぶところではござらん。
『天地の間は』と申すと『大海のごとし』というお答え。
『十方世界(広大無辺の宇宙)は』申せば『五戒(禅宗の五つの戒律)で保つ』と仰せられ、
『三尊の弥陀(阿弥陀如来、 観音菩薩、勢至菩薩)は』との問いには『目の下にあり』。
いや恐れ入りました」
としきりに感銘。
しかし当の六兵衛さん曰く
「ありゃ、にせ坊主に違えねえ。
馬鹿にしゃあがって。俺が蒟蒻屋だてえことを知ってやがった。
指で、てめえんとこの蒟蒻はこれっぱかりだってやがるから、
こォんなに大きいと言ってやった。
十でいくらだと抜かすから、
五百だってえと、三百に負けろってえから、アカンベー」
との事でした(笑)
なまじ知識があると、勘違いした場合、相手をその実力よりも遥かに高く評価してしまう人間心理を上手く表現していますよね?
今、スピリチュアルの世界でも同じ事が起こっていませんか?
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『ふわふわキャハハさん』とセミナー受講者との質疑応答の様子を見るにつけ、この噺を思い出してしまいました(笑)
語る内容は、今まで聞いたことがある事ばかり、質問の答え方も非二元の知識を繰り返すマニュアル返答で全然、質問者の気持ちに寄り添っていない。
しかし、ラスボスさんブログのコメ欄の参加された方の感想を読むと「素晴らしかった!元も個も無いようなバッサ、バッサと斬り捨てる答え方が逆に小気味良かった!」といった文章が見受けられます。
きっと究極のプラス思考の持ち主の方なんでしょうね(笑)!うん、うん(笑)
ああ、この人は、フランス・パリ在住でヨーロッパ中で高い評価を受けている
ラスボス先生も「この人は本物です!」と太鼓判を押している
だから、この人の言う事は全て正しいのだろう
もし疑問が生じるならば、それはこっちが未熟だから理解出来ていないだけだろう。
そういった先入観で相手を見ると、正常な判断は難しくなります。
こちらが勘違いすると、相手は凄い人になります
そしてスピ系セミナーに嵌り、多大なお金、時間、労力を消費してしまうことに成るでしょう。
【エゴに気付く】エゴから自由になる
蒟蒻問答みたいな【ふわふわ問答】に騙されないで下さいね☆
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