ラスボスさんは「全てはストーリー」とか言うけど、その作者は誰? [新スピリチュアル論]
※応援クリックよろしくお願いします「本当は自分なんていない。」
「自分が自分である限り、目の前に展開していることは自分の創ったストーリー。」
「全てはストーリー」
とか、ラスボスさんは教えを垂れています。いつもありがとうございます。ブログネタを(笑)
でも「全てはストーリー」とか言うけれど、そのストーリーを作っている作者は誰ですか?
ラスボスさんは、
その曲の作者は、必ず存在していて曲だけが独立しているわけじゃない。
まさか宇宙の全体エネルギーとかが突然、空中から音楽を発生させた訳ではありませんよね(笑)?
※スポンサーリンク
「いや、その作者はいない。作者も、観客も、演奏者もそれぞれのストーリー」というのは苦しい言い逃れで、本当に「何も無い、作者もいない」ならば、それぞれのストーリーも何も生まれません。
作者がいなければ、曲は生まれません。
「わたしはいない」ならば、ストーリーも起こりません。
本当に「わたしはいない」ならば、この現実世界でセミナーを開き、高額料金を取っているラスボスさんというストーリーも存在しません(笑)
現実を直視していない。或いは逃避しているからこそ、そういう『可笑しな非二元論』になる。
「元々は何も無かった所から」「今ここで存在している、わたしが創った」「わたしのストーリー」が本当です。
「出来事も、思考も、感情も、すべては全体から起きているただけで、単独の自分という存在が何かを作り出したり、コントロールしているわけではないのです。二元の世界に於いては、「私はいない」ということさえ、私が理解しようとします。」
とかいうラスボスさんの主張は、「元々は何も無かった所から」「今ここで存在している、わたしが創った」「わたしのストーリー」といった二元(現実世界)と非二元(現実を超える世界)の関係性を自分の都合の良いように、「元々は何も無かった」という所だけ、切り取ってクローズアップしてアレンジしているだけです。
本当に「わたしはいない」ならば、「わたしの」ストーリーも起こり得ない。
ましてや、動画をアップしたりするなんて、ありえませんよね(笑)
「元々は何も無かった所から」「今ここで存在している、わたしが創った」「わたしのストーリー」
【エゴに気付き】エゴから自由になり、二元(現実世界)と非二元(現実を超える世界)はひとつという事を理解して下さい。
二元(現実世界)を軽視、或いは無視しているが故に、二元(現実世界)では何の役にも立たない『ふわふわ非二元論』など笑い飛ばしていきましょうね☆
P.S
心の底から共感出来る方々のブログです皆様、応援よろしくお願い致します
↓ ↓
ノリのブログ
頑張らなくても大丈夫
ノン・スピリチュアリティー☆DAYS
わんころが変!
あかりのつぶやき
※ついでに僕の応援ポチッも、よろしくお願いします(笑)
※スポンサーリンク