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「わたしはいない」と言う、わたしがいる【そして「わたしたちは、いる」】 [新スピリチュアル論]

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今日もラスボスさんは、ブログで、つらつらと全く役に立たない『現実から遊離した非二元論』を展開して、最後に、ふわふわキャハハさんの動画配信を紹介しています(笑)





最近はすっかりセールス・レターになりましたね☆





ラスボスさんは『僕たちが物心ついてからずっと信じ続けてきた自分という存在の基盤を、もういちど改め直すのは勇気がいります。なぜなら自分が存在するという確信が、生活の、そして人生の大前提だったからです。

この大前提が幻想なので、人生がこんなに苦しく感じてきたのです。苦しみの大きさとは、幻想の強さのことです。

幻想・・・それが「私」という感覚。「私が全体から分離して存在する」という感覚です。』と書いています。




だから、『わたしはいない』という認識に至れば、苦しみから解放されると。






しかし、その「わたしはいない」を求める参加者の「わたしがいる」





「わたしの苦しみを解放する為に『わたしはいない』を学ぼう」とする人の『わたし』はどこまでも、どこまでもいます。



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この二元(現実世界)で、1人の人間として生きる限り、『わたしはいない』の状態に絶対になりません。





もし、『わたしはいない』ができるというのならば、その主張こそが空想であり、幻想です!





「あはは。それはあなたのストーリーですよ。」そう、おっしゃるあなたの「わたしという個人意識」は厳然と存在しています。





個人は幻想ではなく真実。「わたしはいる」そして「わたしたちは、いる」





わたしという個人をこえた存在。それが全体であり、「わたしたち」です。





それは、最初から分離なんかされていなくて、いつでも、どこでも個人の「わたし」と全体の「わたしたち」は一体であり、ひとつです。





あなたの本質は「わたしたち」全体であり、【無限で完璧な存在=『愛』】です。






全体で【無限で完璧な存在=『愛』】のあなたは、人生を楽しむ為にあえて自分とは対極の性質を持つ個人という【エゴ】を創造し自分と同一化させて、この世に生まれ出ました。※詳細記事(⇒「完璧」と「完璧じゃない」を兼ね備えた存在





「わたしはいる」だから、苦しみは生まれる。しかし「わたしはいる」からこそ、その苦しみを課題と捉えて乗り越え、喜びとして行けます。





「これらに参加することで個人にいいことは何もありません。 目指していることは個人(分離意識)の消滅であり、個人にとっては最も避けたいことです。」





その通り!二元(現実世界)の問題は二元(現実世界)でしか解決出来ません。





ラスボスさんのリトリートやサットサンに参加して、「わたしはいない」の非二元の世界に逃げ込んでも、日常生活に戻れば、「わたしはいる」の二元(現実世界)と向き合うしかありません。





【エゴに気付く】エゴから自由になる






「わたしはいる」そして「わたしたちは、いる」






この二元(現実世界)こそが、非二元(現実を超えた世界)を顕現する場所です☆





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