「起きていることは完璧」であり、完璧では無い【ラスボスさんの矛盾】 [新スピリチュアル論]
※応援クリックよろしくお願いしますラスボスさんの文章はダラダラとして長いです。
その方が読者をケムに撒きやすいからです。
でも、よく見てみると矛盾だらけです(笑)
>『ふわふわキャハハさん』はよく「起きていることは全て完璧」と言いますね。
>もし『ラスボスさん』が、今晩子供達に食べさせるお米がなかった時、阿部さんの目に現実はどのように映っているのですか?
こういった読者からの質問が、ラスボスさんのブログに寄せられていました。
ラスボスさんは
「分離意識の我々から見て、「起きることはいつでも最高」ということではありません。」
と『個人=分離意識』としながらも、下の方の文節になると
「たとえ一瞬でも、あなたという分離意識が消えたとき、いま述べたことが訪れます。そのとき、世界中の分離意識が消えます。自らの個人が消えると、そこから見て、すべての個人という幻想が消えてなくなるのです。」
と、意味不明です(笑)
私たちは全体から分離して、二元の世界で生きているのだから、生きている限り「分離意識」を持つしかありません。
『たとえ一瞬でも』生きている限りにおいて、分離意識が消えることはありません。
なぜならば、この二元の世界はそれぞれ個々に分離して、それぞれが役割を果たして成り立っているからです。
そして、あなたという『個人=分離意識』も、あなたの役割を担っています。
それは、ラスボスさんもふわふわキャハハさんも例外ではありません。
それでも、もし分離意識を消すことが出来ると言い張るのならば、今すぐにこの世界から消えてみろって話ですよね(笑)?
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「私はいない」「誰もいない」そう主張するセミナーを開催する人や、お金を払ってそれを聴いている人は厳然と、この二元の世界に存在しています。
『個人=分離意識』は幻だから、それを消すことで全体に居る事が出来るという主張は嘘っぱちです!
「ですから、ふわふわキャハハさんのような人の目から見ると、すでに誰もいません。」と判断している人はいるのでしょうか?いないのでしょうか?
「肉体はあるけれど、その中に誰もいないことを知っているのです。」と認識している人はいるのでしょうか?いないのでしょうか?
もし『いる』ならば『わたしはいない』は成立しませんし、『いない』ならば、誰にもわかりません。なにせ『いない』のですから解りようがありませんよね?
冒頭の
>『ふわふわキャハハさん』はよく「起きていることは全て完璧」と言いますね。
>もし『ラスボスさん』が、今晩子供達に食べさせるお米がなかった時、阿部さんの目に現実はどのように映っているのですか?
の質問にラスボスさんは
「そうなってみなければわかりませんが、たぶんその時できる精一杯を生きると思います。
それは誰でも同じではないでしょうか。」と答えています。
そう。「私はいない」「誰もいない」と主張しようとしまいが、そういった人生の諸問題と直面した時は誰しも『その時できる精一杯を生きる』しか無いのです。
続けて「いまを一生懸命生きよう。一見まともな宣言ですが、分離した個人にはいまを生きることはできません。分離した個人からは、時間しか見えません。なぜなら分離意識が時間だからです」と書いています。
これも嘘です。なぜならば私たちは『分離した個人』で在りながら同時に『いま、ここ、全体』でも在るからです。
あなたの本質は『いま、ここ、全体』つまり【無限で完璧な存在=『愛』】です。
【無限で完璧な存在=『愛』】のあなたは、人生を楽しむ為にあえて自分とは対極の性質を持つ【エゴ】を創造し自分と同一化させて、『個人=分離意識』として、この世に生まれ出ました。※詳細記事(⇒「完璧」と「完璧じゃない」を兼ね備えた存在)
あなたは『個人=分離意識』で在ると共に、『全体=愛』です。
誰しも完璧では無いと同時に完璧なのです。
人生の諸問題を課題と受け止め、「いまを一生懸命生きよう。」と行動していく。
その中にこそ『完璧では無い』あなたの内に『完璧さ』が顕現し、問題を乗り越えて行く力が湧き起こります。
P.S
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