「私は、まだまだ学びが足りない」と思わせる人と思ってしまう人 [スピの世界をひっくり返す]
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「通常人は、いつも何かが足りないと感じていて、足りないと感じる理由を出来事や状況の中に見つけ、それを改善しようとします。
ところが足りないと感じている本当の理由は、外側の現象にあるのではなく、内側の誤った自己感覚にあります。」
ほうほう、それは同意見だなあ、と読み進めると
「自分という独立した存在があって、それが個として切り離されているという信念が、足りないという感覚を作っているのです。」
「何を学ぼうと、何を訓練しようと、結局は分離した個を高めようとしているわけで、分離は分離として残ったままです。」
「したがって、いつだって何かが足りないし、不満が残るのです。」
「そこをいきなり解決してしまおうというのが「禅」です。」
お!来るぞ、来るぞ!
「分離は存在しない。「私」はいない。これが禅の真髄です。」
やっぱりキター!ハイハイ(笑)セミナー誘導お疲れ様です(笑)!
不足感について書いているのに、読者に「私は、まだまだ学びが足りなのでは無いか?」と想わせる。
そうやって、不足感を誘発してセミナーに誘導する
いかにも営利第一主義ですね(笑)
ラスボスさんの組織の中で一番、不足感を生じているのは、「もっと、もっと利益が欲しい!」と望んでいると想われるラスボスさん本人なのでは無いでしょうか?
もしかして、分離が生じているんじゃ無いですか(笑)?
禅がまだまだ足りないのでは、無いですか(笑)?
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ラスボスさんのブログは綺麗な言葉が並べ立てられていますが、その殆どは「足りない→欲しい→あそこに行けば得られるかもしれない!」と思わせる典型的な宣伝手法を使った誘導文です。
そうやって不足感を誘発され不足感が動機となり、セミナーに参加される方は、往々にして非二元の話を聞いたり、禅や瞑想を習っても「私はまだまだ学びが足りない」とますます不足感を強化する皮肉な結果となります。
「分離は存在しない。「私」はいない。」
これは、ある意味、真実ですが説明不足です。
人の本質は【無限で完璧な存在=『愛』】で全体エネルギーの存在。だから「元々は」分離は存在しない。 「私」はいない。
しかし、今ここの現実世界では、厳然と「分離」は存在している。「私」はいる。
それは全体で在る、自分自身が敢えて分離して「私」を創造したからです。※詳細記事(⇒「完璧」と「完璧じゃない」を兼ね備えた存在)
「分離」や「私」は、【エゴの働き】とも言い換えられます。
その【エゴに気付く】
「分離」や「私」である、エゴから自由な状態になる
そして、日常生活で必要な事を淡々とこなす
不足感を乗り越え、内側の誤った自己感覚を改善するには、禅も瞑想も非二元論のセッションも必要ありません。
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